高木さん、激しさ秘めた勝負師 「10・8」進退に揺れた1次政権―プロ野球・中日

引用元:時事通信
高木さん、激しさ秘めた勝負師 「10・8」進退に揺れた1次政権―プロ野球・中日

 高木守道さんといえばバックトスで鳴らした現役時代の「職人」のイメージ同様、監督としては「勝負師」の名が似合う雰囲気を漂わせていた。星野仙一監督の後を受けた1992年から95年途中までの第1次政権で語り草となっているのは、94年10月8日のセ・リーグ優勝決定戦となった巨人との戦いだ。

 巨人の長嶋茂雄監督が「国民的行事」と命名した「10・8決戦」。ペナントレースを大きくリードしていたライバルが急失速し、優勝を諦めかけていた中日に「勝てば優勝」の大チャンスが訪れた。巨人の長嶋監督やこの年中日からフリーエージェント(FA)で移籍した落合博満選手の気迫は並々ならぬものだったが、中日の高木さんには複雑な事情があった。

 まさか優勝争いになるとは予期できなかった8月末の時点で、球団は星野前監督の復帰方針を打ち出し、高木さんも「来季は指揮しない」と明言。ところがペナントレースの雲行きが変わり、星野さんも就任要請の事実を認めた上で辞退を表明した。決戦の日を迎える高木さんの進退は宙に浮いていた。

 試合当日のナゴヤ球場。巨人はオールスター戦のような継投で勝利への執念を見せた。中日はエース今中慎二が打ち込まれ、後手に回って逆転Vを逃す。試合後の高木さんは「納まるところに納まった」と淡々と言った。敗れても達成感のような気持ちがあったようだ。

 結局は球団や選手から上がった続投要請を受けて翌年も指揮を執ったが、序盤戦の不振とオーナーの急死を受けて自ら6月に辞任表明。21世紀になって落合監督の後を受けて再登板するチャンスを与えられたのは、「10・8」の夢の続きをたどるようでもあった。

 口数は少ないが温厚。記者の質問にも誠実に答える人柄だったが、ひとたび怒りのスイッチが入ると別人のように熱くなった。95年の最後の指揮となった阪神戦では審判に抗議して退場処分となると、そのまま新幹線で名古屋まで戻ってオーナーの通夜に参列した。つい最近の週刊誌のインタビューでは「10・8でそのままやめていれば格好よかった。反省ばかり」と回顧。強かった1990年代の中日で土台を固めた功労者は、最近の古巣の低迷が気掛かりだったに違いない。